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「中村修二さんという人を御存じだろうか?」
この人は、今日本人の中でもっともノーベル賞に近い人間とされている方です。
青色発光LEDというものを作ってしまった人です。世界中の研究者がやっきになって20年間取り組んできた快挙をこの中村さんが作ってしまったのです。
では、青色LEDとはいったい何なのか、何の役に立つのか、、、疑問に思う人も多いと思うが、LEDは電流を流すと発光する半導体の事です。発光ダイオードとしていろいろな電子機器に使われていて、かなり身近にたくさんあります。昔の発光LEDは明るさが暗くて単にマーカーとしてしか使えなませんでした。ところが、最近は高光度LEDができた事によって、電球のような使い方ができるようになり小さい懐中電灯なんかも登場してきました。車のハイマウントストップランプなどにも電球ではなく赤色LEDが使われ出しました。ずらっと一列に並んだ赤い光の帯です。このLEDは青色ができる前は、赤とグリーンしかなかったのです。
そこで中村さんの青色LEDの開発によって、白色の光りを作る事ができるようになりました。これらすべての色をまぜると白色の発光体を作る事ができるからなのです。(これがすごいことなのですよ)もうすでにこの開発から日が経っているので、ずい
ぶんと目にするようになったが、白色のLEDが携帯のアンテナトップの飾りで使っていたりするのをみなさん御存じでしょう。
ということで、近い将来白熱電球がすべてこの発光LEDに変わる日が来るわけです。
なぜなら、LEDは寿命が長く、発熱せず、省エネに優れているからなのです。
制御が簡単なのと、電球のように切れないので、大型の壁掛けテレビのようなカラーディスプレイが薄く軽量に作る事もできるようになります。
たぶん手始めに、信号機や街灯などから変わっていくでしょう、、、。まだ、同様の原理で青色のレーザーが作れます。いままでは赤色レーザーしかありませんでしたから、この青色レーザーによって(青色は赤より波長が短い)DVDなどの記憶媒体に情報を書き込んだり読み込んだりする容量が増えます。おおよそ10倍増やす事ができるので、映画1本しか入らなかったDVDに10本分録画ができるようになるわけです。ですから、現在のDVDはまだまだ進化します。
ということで、いかにこの青色の開発がすごいことかお分かりでしょう。世界の産業界をひっくり返すレベルの発明なのです。電球はエジソンの発明ですが、これを塗り替える発明なのですから、、、、。
この中村さんは、現在46才、もともと愛媛県の大洲高校出身で、それから徳島大学工学部に進み、それから大学院を出て徳島の阿南の日亜化学に就職した。目立たないごくごく普通の人、、、というイメージの人だったそうです。なんと四国の方だったのです。
200人の日亜化学で、毎日職工のような事をやって、20年間ヒラ社員路線で働いていたそうです。青色LEDの開発に携わってからとり憑かれたように没頭し、91年8月にとうとう組み合わせを見つけて作ったわけです。この青色LEDを作る為にはいろいろな組み合わせや蓄積されたノウハウがないとできないので、たやすい物ではなく、「エベレストを下駄履きで登るような暴挙」、、、とも言われています。
それから会社に内緒で論文を発表したことにより、アメリカから講演依頼が来た。実際に青色LEDを見せて20分間講演したことで彼の人生は変わったのでした。(完全に企業の異端児です)この研究結果を評価した米国企業数社、プリンストン、UCLA、MITなど有名大学15校から(なぜか日本からの誘いはゼロ!)リクルートの手が伸びた。結局日亜を辞めて、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の工学部教授として就任して、現在サンタバーバラに家族で移り住んでいる。「ホープランチ」という超高級住宅街でブラピー、ケビンコスナーなどの別荘があるところで時価一億円の豪邸を手に入れた。
とんでもない開発を徳島の阿南の田舎町でして、その恩恵である億万長者のライフスタイルを送っているのは日本ではなくアメリカだった。通常日本の会社で何かを開発すると、その権利は会社のものとなる。よって青色LEDの権利も日亜化学のものになっています。これで、従業員数200人の会社は2000人の大企業に生まれ変わりました。これは、もっともアメリカ人が理解できない日本企業のシステム、、、これだけの開発をしてお金を手にできなかったことにより、アメリカで中村さんのあだ名は「スレイブ(奴隷)中村」とつけられているそうデス。
しかし、ノーベル賞に近い日本人が徳島の阿南で20年間サラリーマンで職人さんをやっていたとは、、、なんともすごいことじゃないですか、、、。