大阪児童殺傷事件とハリウッド映画
今年の5月連休に「アメリカンサイコ」という映画が公開された、、映画自体は全く流行らなかったが、例の大阪の事件によってビデオ化ができない、、という波紋を受けている。実際内容も、何も得るものがなく後味が悪いだけの映画、、、だそうだ。
この映画には同名の原作があり、その原作はアメリカでも衝撃の問題作として話題を呼んだらしい。
******以下引用******
内容は、主人公は地位も名誉も学歴も金もあるアメリカのヤッピー(ヤングアーバンパーソン)である。すべてのものを持っているかのごとき恵まれた20代の男で、もちろんルックスもいい。
生きていることの現実感がつかめない主人公は、ナルシストで自己中心的、そしていつもイラついている。ある日、ついに刺激を求めて殺人を始める。そして殺人の快楽に溺れていく。
彼は殺人鬼と化して、自らの欲望の赴くままに女を殺す。自分ではもう止められない。しかし、誰も彼を止めてくれない。彼の殺人はいつのまにか何も無かったことのように、その痕跡を消されていく。
ついには彼にはもう、殺人の刺激すらも快楽ではなくなってしまう。何でも許されるということは一人の人間を廃人に追い込むに必要十分条件足りえるのだ。
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宅間守容疑者にしても、宮崎勤にしても金持ちでもビジネスマンでもないがこの映画の主人公の「心」とまるで同じなのである。その心の中は「強烈な空虚」というマイナスのエネルギーで一杯になっている。生きる力などなにもない。
米国の脚本家がこんな言葉を言ってた、、
「世の中に物語の種類は二つしかない。ある男が歩いて来て、穴に落ちて死ぬ、か、穴から這い上がる話、だ」
間違いなく宅間守は「死刑」になるだろうが(宮崎勤は死刑が確定している)、全く「穴に落ちて死ぬ」ストーリーそのものである。決して「穴から這い上がる話」はない。
ある精神科医によると世の中には「人を殺したくてたまらない人間」がいるらしい。「更生」あるいは「治療」の当てはまらない「人を殺す」ようプログラムされた人間なのだ。宮崎勤が今刑務所で「反省」をしているだろうか、、、?
先日、ニュースで久しぶりに見たが彼は今刑務所内でイラスト(デザイン画)を書いている。それも複雑な幾何学的な図形をモノサシだけで書いている、、(ちなみにコンピューターで書くのも難解な図形)、、そして、そのイラスト展をやるのが夢だとか、、、反省などする人間ではない。そもそも反省する=更正の余地ありだが、彼にはその余地は全くない。宮崎勤が、「死刑などなんにも恐くない」と言っていたのが印象的だった。
たぶん、宅間守も最初から死刑を望んでいるので、同じ人種だろう。
だから、普通の人間の感性の尺度で測ることのできない次元の違う人種がいるということを認識しておく必要がある。
映画は作り話しだが、ハリウッド映画はたいてい実在のモデルがあって、それを元に作られている場合が多い。だから実際に極めて近い感性の人種がいて、一般人の中で普通に生きている、、ということは間違いない。しかも、アメリカではなく日本で同様の事件が起こりはじめたのだから本当に恐い世の中になってきた。
彼等のような異常性格者の事をサイコパス(異常だが病気ではではない)という、、、現在、医学的には「反社会性人格障害(APD)」という呼び方をするが、このサイコパスかどうかが刑罰上で大きく問題になる。サイコパスの場合、罪になるが、そうでないなんらかの精神病と診断された場合、無罪になってしまうからです。
ちなみに、先進国で人口の1%はサイコパスだそうです。(ただし、環境とか育ち方によって問題を起こすので全員が犯罪者になることはありません。)
ただ、サイコパスでない普通の人間でも、「穴に落ちて死ぬ」人生を送っている人は多いと思う。単に生きて死ぬだけの平凡なつまらない人生を送っている人のことで、最近思うのだが、生きるパワーのない意味不明なやつらがとても増えたように思う。
私は彼等と同じ「穴に落ちて死ぬ」つまらない人生よりも「穴から這い上がる」人生の方がいい。
そういう意味で、生きるため、自身の夢のため、愛する人のため、家族のためにパワーを出している人間に会うとホッとする。
●アメリカンサイコ公式サイト