「千と千尋の神隠し」の個人的感想

宮崎映画「千と千尋の神隠し」のビデオが出たので、レンタルで借りてやっと観た。
あの映画についての感想をよく聞かれるので、見てないと答えられないので仕方なく観たのだが、なかなか奥の深い内容で面白かった。

実は、この映画には次のキャッチコピーが付いている。

「かつて10歳だった人達と、これから10歳になる人達へ贈る」

これが、この映画を通して宮崎監督が伝えたいキーワードなのだが、主人公の千尋のお父さんが38才なので、彼と私はほとんど同じ年令で、ブタにされたのがかなり印象に残った。

宮崎映画の中でよく出てくるブタは、ただ食って生きているだけの意味のない人間を表しているんだと思う。

まず、この映画は出てくる登場人物が、そのまま実社会の縮図のような構成になっている。アメリカ映画のようにはっきりと悪人と善人の戦い、、、というような単純なストーリーではない。
誰が悪人、善人というわけでなく、どの登場人物も人間的であるということがとても面白い。

主人公の千尋の両親は、この映画の中では結局何も学ばず、何の変化もなく帰って行った。
そこが既成概念とか、いろんなものでガチガチに固まってもう成長できない「大人」をうまく演出していて、自分が同年代だけにドキッとした。

双子の「湯婆婆と銭婆」が登場する。双子の妹、湯婆婆と正反対の性格の姉の銭婆は、森の中でひっそり暮らしている。銭婆は、湯婆婆が欲しがる「魔女の契約印」を持っている。銭婆は魔法を極めているのか魔法がすべてだと思っていない。

最後に両親とともにトンネルを抜ける前とトンネルを抜けて現実に戻った時の二度、キラリと光る。銭婆とカオナシ、坊ねずみ、ハエドリが、魔法を使わずにみんなで紡いだ糸で編んだお守りの髪留めだった。大人になっても忘れてはいけない大切な経験、、、という思いを感じる。

最初、この不思議な世界に入り込んだ時、千尋という名前を抜かれて「千」という名前を付けられてから、自分を忘れていくシーンがあったが、これは湯屋という人間社会の縮図のような場所にただ1人放り出されて、自分を見失っていくという意味だと思う。

名前は、親が我が子を思う気持ちを一番強く出していると思う。漢字には意味があるから、名前にはそれぞれ意味がある。将来こうなってほしい、、、という両親の想いが名前には詰まっている。

自分が10歳の頃使っていた物とか、書いた物、作った物が残っていて、それを大人になった今もし見る事ができたら、何を感じるだろう。ふだん考えることもない自分に付けられた名前の意味はいったいなんだろう。

ただ飯を食って生きているだけのブタになっていて、それに気付かずにいるとしたら、これほど空しいものはないなぁ、、、と思った。

これが私の感想でした、、、!

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