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「たそがれ清兵衛」の感想
今頃になって、、、だが、レンタルビデオで映画「たそがれ清兵衛」をみた
侍の時代から一気に明治維新に移る時代だけに、普通の時代劇とはなんか違う空気があった。
それにしても、江戸時代の終わりがああいうダラダラっとした感じだったとはとても思えない。明治維新で廃刀令が出る前で、刀を持ち歩いている以上いつ人を斬るか人に斬られるか、、、という時代なわけだから、現在のサラリーマンのようにノポポンとした空気があったとは思えないと最初は思った。
でも、昔のちょんまげと統一されたスタイルから、全員が右ならえをしているというのはいわゆる「お上」という絶対的な上からの圧力に服従する空気がムンムンだったわけだから、忠臣蔵のような話が有名になったのだろう。殿中で人1人を斬る、、という行為であれだけドタバタするのであるから、いくさ以外で刀で人を斬る、ということは規律や建て前、筋、作法、、、そういったものでがんじがらめに縛られていたのだと思う。
「お上」の次は、「天皇陛下」、、、そして「社長」、「官僚」、、という風にとかく権力を持った人の下でいると安定するのが日本人の典型的パターンだから、そういう意味で昔は自由という発想はないし、周りの人とずれないようにする空気はすごかったのかもしれない。
だから、たそがれ清兵衛は「お上」や「同僚」に動かされない自分を持っていたのでそう考えると面白い人物だった。
唯一、私が感動したシーンは上役から師範を斬るように申し付けられた時、「人を斬るには野生の本能のようなものが必要です。今の自分にはその本能が欠けてますから、せめて1ケ月間時間をください。そうしたら山にでも入って精神を切り替えてまいります、、。」って感じの事を清兵衛が言ったところ。
清兵衛は自分の位置(能力)を良く分かっている。たいてい能力のない人やおバカな人は、自分の位置を分かっていなくてただ頑張りますとか、やれるだけやってみます、、、などと言ってしっかり失敗したりする。できる人間はちゃんと自分の位置が分かっているので、その仕事をやり遂げるにはどういう状態に自分の位置を持ち上げなければならないか、何を準備しなければならないかを理解している。
それだけ、自分の位置(能力)を理解しているのに、なぜ清兵衛は勤め先での自分の仕事上の位置に関しては欲もなく、ただ毎日漠然と仕事をしていたのだろう。
この映画を見て、中高年のサラリーマンが泣いた、、、と聞いたが、これだけ倒産とか社会がガタガタしていたら、じっとがまんの子になって仕事していても、自分の勤めている会社が潰れたら結局何かやらなければならないのだから、決してノポポンとはしていられないのではないだろうか。映画の中の清兵衛に自分を照らし合わせて泣いている場合ではないではないか、、、と思うわけ。
私は自営業者なので、つねに野生の本能がないと生きていけないから余計にそう思ってしまう。特に最近よく考えるのは、この先5年後にどうなっているだろう。10年後はどうだろう。そういうことをよく考える。今、今、今の連続が未来だから、5年後の自分が理想とする状況を想定して今の行動を決めていかないと5年経ってそれからあわてて修正しようと思っても、もう間に合わないんですよ。